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私の個人的な意見等 nbsakurai (202.234.138.210.bf.2iij.net) 2006/07/01(土) 07:21:36

 tomoさん、書き込みありがとうございました。
 随分と時間が経ってしまいましたが、私の、個人的・主観的な意見も含めて、ご返事をしたいと思います。

   〜〜〜〜〜〜〜〜

○ まず初めに死んだらどうなるのか?

 確かに、おっしゃるように朝と夜の境に明確な一線を引くことはできないでしょうが、典型的な朝と典型的な夜との間には明確な違いがあるわけでして、その間に拡がりの領域、グレーのグラデューションのがあるにしても、その間にはやはり断絶は明確にある。細かく考えれば生と死の境の一瞬を厳密に特定することができないにしても、ちょっと大局的に見れば、やはりその間には明確な違いはあるわけです。生と死の境界は、太さのない線ではなく、広がりを持った領域であるとしても、やはりひとつの境ではある。そういう意味で、生と死には境がある、というのが私の考えです。
 また、境の問題はとりあえず置くとしても、それとはまた別の問題として、生と死にはやはり違いはある。もっとも、「生と死の違いも人間が造った基準のひとつにすぎない」、というふうに考えることもできそうですが。
  死んだらどうなるかというと、下記に述べる私のイメージでたとえて言うと、”火が消える”、ということだと私は考えています。

○ 超ひものサイクル?

 超ひも(理論)というのは、今のところ純粋に理論物理学的な概念であって、生と死のような生物学的な問題と直接かかわることはない、というふうに私は考えています。また、「超ひものサイクル」というような概念を、私は知りません。

 私の本やBlogで、超ひも理論に触れているのは、次のようなところです。
・ 第1章 物質界 第1節 物質 2 素粒子
・ 科学的世界観のBlog 096 万物の理論(究極の統一理論) 
 なお、超ひも理論の簡単な解説としては、次のようなものがあります。
・ スーパーストリング理論(超ひも理論)
・ 超弦理論(super string theory、超ひも理論)

 超ひもという言葉は、ふつうは、おっしゃるような意味とは相当にかけ離れた意味で使われているようです。少なくとも、「生きてるものは同時に死んでいる、死にかかっている場所は生まれつつある、奪いながら同時に与えている」というような意味では、そうは使われていないのではないかと思います。

○ 私のイメージ

 私の個人的なイメージとしては、”生きている”というのは「ひも」でも「螺旋」でもなく、”火”あるいは”炎”ですね。燃焼の三要素というような条件がそろっているかぎり燃焼が続くが、やがていずれは火が消えます。
 命というのは、それに似たところのある、ひとつの現象である(それが大いに複雑かつ微妙なものであるとしても)というのが私の考えです。

○ 過去から未来へ時間が流れているという錯覚

 時間が流れているというのが錯覚なのかどうか、私にはなんとも言えませんが、”時間、空間の中で現象が起こる”というよりも、”空間や時間もひとつの現象である”、というような難しい物理科学的な、あるいは哲学的な議論はあるようですね。私にはちょっと難しすぎますが。
 「生と死が、表裏として常に存在している」、というようには私は感じませんが、時間が流れているとしても、生も死もその中のひとつの現象である、というような意味では、「クルクルと回っているだけです」、というような表現もありかな、とは思います。

○ 退化は進化

 『進化をめぐるさまざまな誤解』から引用します。
進化は進歩・改良?
 「車が進化しました」とか「コンピュータが進化する」とかいった表現は、宣伝文句などでもよく目にしますし、日常の会話でもしばしば耳にします。この場合、進化という言葉が進歩や改良という意味で使われていることはいうまでもありません。しかし、これは進化に関する典型的な誤解の一つなのです。生物学では、進化は「生物集団の遺伝的構成の時間的変化」、あるいは、もっと直接的には「生物集団の遺伝子頻度の時間的変化」と定義されます。ですから、進歩とか改良という意味はまったくないのです。また、進化の反対の意味で「退化」という言葉がよく用いられますが、これもまちがいです。

 結論としては、おっしゃっている趣旨と同じになるのかもしれません。

○ 人類はピラミッドの頂点?

 この点については、私もほぼ同意見です。

 また、「進化をめぐるさまざまな誤解』から引用します。
ヒトの祖先はサル?
 「サルが進化してヒトになった」とか「下等な生物が進化して高等な生物が誕生した」といった言い方をする人をよくみかけますが、これも進化に関する誤解の一つです。生物には、細菌や原生生物のような単細胞のものから、脊椎動物のような複雑な体制をもつものまで、きわめて多様性に富んでいます。これを整理してみると、簡単な体制の生物から複雑な体制のものまで、おおざっぱに序列化することができます。このような序列を「自然の階梯」といいます。階梯とははしごのことです。自然の階梯というのは、進化論の登場よりずっと以前から認識されていました。むかしはこのような序列は生命を創造した神様の意思によるもので、神の姿にもっとも近い人間が最上位に置かれたのだと説明されました。ダーウィンの進化理論によって、このような解釈が誤りであることがわかったにもかかわらず、自然の階梯という見方はなかなか消え去らずに、教科書などに出てくる生物の系統樹でも、「高等な生物」を一番上に置き、「下等な生物」を下の方に置いたものが少なくありません。

 「表と裏、生と死、人間とそれ以外といった区切りを造る」のは、やはり人間なのでしょう。人間の主観的な立場を離れるならば、そのような区別に意味を見出すことはできないのかもしれませんね。

○ 死んだら意識はどうなる?

 生命現象が途絶え、火が消えれば、その個の意識のようなものも消えてなくなるのだろう、と私は思っています。

○ 無意識の中の個?

 私の個人的なイメージでは、意識というもはすぐれれて個的なものです。個のない意識というのは、ちょっと考えられません。個があってはじめて意識といえるのではないか、無意識には個というような概念はなじまないのではないか、と私は思っています。

○ 夢は無意識?

 夢を見ている状態を無意識というべきかどうかはともかく、夢の中でも、死という概念も時間という概念もありうるのではないか、もしかすると目覚めているときとは多少違うところがあっても、と私は思っています。

○ ブラックホールと永遠の存在

 私の本で、ブラックホールに触れているのは、次のところです。
・ 第1章 物質界 第4節 宇宙 1 宇宙
 崩壊した恒星の重力場によって時間の歪みも生じ、密度が大きくなるにつれてその歪みが増大していく。物体が重力半径に崩壊したときには、ついに時間の歪みの量が無限大になる。脱出速度が光速度と等しくなると、外部から見た時間の進行が凍結し、完全に停止して見えるようになる。われわれの時間は進み続けるのに、崩壊した星の表面では時間が停止してしまう。そこでは、時間的には、崩壊星の宇宙の一瞬が外部世界のそれ以後の全時間に対応する。空間的には、その星の全表面が外部世界の一点に対応する。こうして、極限では時間と空間が消滅してしまうのである。

 静止して見えるのは、ブラックホールを外部から見た場合のようです。外から見ると永遠に存在し続けるように見えたとしても、その当事者にとってはそうではない、ということではないでしょうか。
 当人にとって大切なポイントは、自分にとってどうかということで、当人の立場からみると一瞬で肉体が滅びるならば、それはつまりそういうことで、外からはどのように見えようと、それはあまり重要ではない、ということではではないでしょうか。
 少しは、気休めぐらいにはなるのかもしれませんが。

   〜〜〜〜〜〜〜〜

 というようなことで、あまりお考えに添うことはできなかったこと思いますが、とりとめのない個人的な思いを述べさせていただきました。


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