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科学的世界観は決定論か? その2 のこと Kina (ip68-100-140-43.dc.dc.cox.net) 2006/07/16(日) 21:09:39
◆「精神」とか「物質」という言葉は、どういうものを意味しているのでしょうか。
◇広辞苑によれば、いくつかの定義のうち、「知性的・理性的な、能動的・目的意識的な心の働き」という定義があり、これが私の言う「精神」に最も近いかなと思います。
◆ 電荷、エネルギー、光、色、振動、波、質量、情報、プログラム、信号、記憶、演算、制御、知能、本能、・・・は、「物質」なのでしょうか「精神」なのでしょうか。
◇物質の定義として、「意識とは独立に存在し、我々の感覚の源泉であり、感覚を通じて意識に反映される、客観的存在」というものがあります。私もこのような意味で使っております。
◇この定義に従えば「電荷、エネルギー、光、色、振動、波、質量」は「物質」でしょう。
◇「情報、プログラム、信号、記憶、演算、制御」が「物質」かどうかは、多少難しくなります。しかし、これらに意味づけを与えているのは人間の「精神」であり、これらは、「物質」か「精神」かというよりも、物質に与えた機能でしょう。現時点の「人工知能」というものも同じようなものだと思います。動物の「知能、本能」になると、進化のレベルに応じて「精神」に近づいていくものだと思います。
◆「精神が物質に働きかける」というような主張をされる方は、「精神」というものを自然法則に反するもの、自然法則を超越したもの、というふうにとらえている場合も多いのではないでしょうか。
◇ 精神が、脳という肉体すなわち物質により影響を受け、密接に関係しているということは、精神は物質によって生じていることの証拠ということができます。しかし、精神が物質により生じるのであればなぜ、精神が物質に反作用することがあり得ないのでしょう。作用があれば反作用があるのは、初歩的な自然法則です。精神が、物質により影響を受けるということは、反作用として、物質は精神の影響を受ける証拠ということができるのではないでしょうか。
◆さて、「原因になっている」というのは、どのような意味なのでしょうか。もしも原因の連鎖を遡るとするならば、一つの方法としては、筋肉の収縮とか、ATPの関係する化学反応とかから始まって、ニューロンの発火とかいう話にすることもできるでしょう。その一連の流れの先のどの場所で、あるいはどの時点で、「意思」というものと出会うのでしょうか? どのような仕方で「原因」になるのでしょうか? そこが「問題になる」のではないでしょうか。
◇人間の行動には反射的な行動もあり、これに関しては、人間の意識との前後関係が不明確なものもあるでしょう。
◇ しかし、あれこれ綿密に考えた目的意識は明らかに、行動に先立っており、行動(肉体の運動)の原因となっております。
◆ 意思、精神、意識活動という三つの言葉が意味するものはどういうことで、それらはどのような関係にあり、それぞれがどのようにして「物質を動かす原因」になるのでしょうか。私には分かりません。
◇ それぞれの定義を、逐一ご説明するまでもなく、文脈から明らかではないかと思います。言葉の定義はどこまで遡ってもつきるものではありません。
◇ 一応ご説明させていただきますが、「意識活動」というのは、脳の心的活動としての側面の表現だと思います。「精神」は先の定義のとおりですが、「物質」に対する対立概念です。
◇「意思」は決断をし選択した行為を実行する、精神における能動的な側面を表すものだと思います。
◆ 仮に肉体が「物質」から成っており、「精神」が脳という肉体より生じているとするなら、「精神」というものは「物質」から生じているものであり、したがって一種の「物質現象である、という帰結を導くこともできるでしょう。もしもそうだとすれば、「物質」とは何か根本的なところで違った「精神」というものが、「物質」に「反作用」をする、などと、ことさら想定することは必要はないのではとも思えます。「物質」から生じたものが「物質」に働きかける、作用するというのは、ごく普通のありふれた「物質」現象、ということも言えるでしょう。
◇「精神」というものは「物質」から生じているものであり、したがって一種の「物質現象である」というのは、おっしゃるとおりです。
◇ 私が疑問としているのは、「自分でいろいろなことを考えたり感じたりする意識というものが初めにあって、それが物理的過程となって反映されるのではなく、物理的な過程が大脳のなかで起こるために、意識が生じるのである。」「自然現象や機械と同じように、人間も物理化学的法則に従っているというこのような考え方は、いまや単なる哲学的な理論ではなく、確かな根拠を持つ科学的な説明である。」「物理学的なプロセスの結果生じるのが意識であって、主観的な意識の存在は物理的な過程に何ら影響しない。言い替えると、人間の構造や機能は物理化学だけで説明でき、主観的な意識の有無とは関係がないのである。したがって、観察できることだけを問題とし、場合によっては、大脳の電気化学的反応をそのまま意識と考えるだけで充分なのである。」という「人間機械論」が「科学的世界観の帰結」であるとされていることです。
◇ 私は、私自身の意志が私の行動に先立っていることを明らかに実感しております。このような事実が存在することは、これ以上証明の要らないものであります。
◇ 「精神」の「物質」への「反作用」ことさら想定することは必要はないとおっしゃるのであれば、まず、なぜ、私の意志が行動に先立ち、物質に働きかけるという現象を私が目撃し、実感しているのかの、合理的な説明をしていただく必要があります。


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