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実感はそんなに信頼できる? nbsakurai (202.234.138.210.bf.2iij.net) 2006/07/17(月) 17:19:51

(続き:再掲)
@ 自分は、またはヒトは、”これこれ”のことを現実に目撃し、明らかに実感している。
A これに反する意見は、実感と余りにもかけ離れている。
B この実感の内容には明証性があり、疑いえない。何かを確証するのは、この実感することのできる明証性である。これで確証であり、これ以上の証明は要らない。
C もしもこの実感の内容に反することを主張するとするなら、主張する側がそれを合理的に説明し証明しなければならない。それがないうちはこの実感の内容を正しいとすべきである。

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 私は、
 上記@とAに、特に異を唱えるつもりはありません。ほぼおっしゃる通りだと思っています。(私が自ら表現すれば、すこし別の形になるでしょうが。)
 Bについては、既にご承知の通り、反対の意見です。
 Cで要求されている説明を、私の力の及ぶ範囲で、してみたいと思います。

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【1】 実感の主観性

 おっしゃるように、
>科学的態度とは、主観による独断を斥け、あくまでも、現実に基づいて、現実を理性的に把握すること、―― だとするならば、
 上記の「実感」というのは、まさしく主観的な実感であり、独断とまでは言いませんが、「主観による」ものであると私は考えます。少なくとも私に基準では、客観的なものとは言えません。

【2】 主観的な実感の信頼性

 前に述べたように、ヒトの実感、素朴直感、日々の生活から生まれた常識というようなものは、必ずしもあてになるとは限らない、それだけを根拠にして結論は出せない、と私は考えています。
 この世界というものは、そういう素朴な実感というものからはかなりかけ離れた、いわば奇想天外なものでもあるようです。

 そういう生活日常の直感から発想するならば、例えば、物が下に落ちるのは自明の理である。物には本来の場所があり、それは下だ、なんて考えてもいいだろう。相対性理論は間違っている。なぜなら素朴直感に反するから。弟が兄より年寄りになるなんてことが、あるはずがないじゃないか。量子論は受け容れられない。なぜなら、粒子が波だなんて素朴直感に矛盾している。粒子と波がゼンゼン違うものだなんてことは、あたりまえの常識じゃないか。
     ―― 『生活実践のための要請される、素朴心理学、心の素朴実在論

【3】 この実感の説明

>なぜ、私の意志が行動に先立ち、物質に働きかけるという現象を私が目撃し、実感しているのかの、合理的な説明をしていただく必要があります。意思なり精神が、物質を動かす行為に先立っていることを実感していることの説明です。

 充分にできるとは思いませんが、私にできる限りの努力はしてみます。

 私たちの感覚器官は、世界が「本当は」どうであるかについての「真実の」像を与えるために形づけられていると考える人がいるかもしれない。しかし、それが、私たちが生き残るのを助ける有益な世界についての像を与えるために形づくられてきたのだと想定するほうが安全だろう。ある意味で、感覚器官がなすべきは、脳が世界についての有効なモデルを構築するのを助けることであり、このモデルのなかで私たちは動きまわるのである。それは、現実の世界についての一種の「仮想現実」シミュレーションなのである。
     ―― 『生き残るために有効なバーチャル・リアリティ

 生物の進化論が正しいなら、その限りですべての生物は、何はともあれ生きようとしなければなりません。うまく生きられなければなりません。そうでなければ、生物進化の過程を生き残ることができず、それをうまくやってきたものが現在まで生き延びてきたわけです。そして人は、そういう進化の過程を生き延びてきた生物なわけです。
 そうであるなら、「イノチにこだわる」っていうのは、修行をして悟るまでもなく、むしろ生物としての当然の性質であるわけです。生物進化は、種に働くのではなく、生物個体に働くというのですから、「ジブンにこだわる」っていうのも、いわば当然とも言えます。
     ―― 『唯物から「空」に至る道

 私たちの脳は本質的に、モデルをつくる機械です。私たちは、それにもとづいて行動するための、有用な、世界のバーチャル・リアリティ・シミュレーションを構築する必要があります。(中略) さらに、この内部のシミュレーションを完成させるためには、他者の心のモデルだけではなく、それ自身のモデル、すなわち安定的な属性、人格特性、能力の限界(何ができて何ができないか)も、そこに含めなくてはなりません。
     ―― 『自己とは?

 意識が生じるのは、脳による世界のシミュレーションが完全になって、それ自身のモデルを含めねばならぬほどになったときであろう。
     ―― 『意識 ―― 世界をシミュレートする脳

 自由な意思はわれわれにはないと認知科学が教えるのに対し、われわれは、そのような信念を断念できない。われわれはそれを抱き続けるように「ほとんど強制されている」のである。
     ―― 『自由意思、自己のない行為から真の自由が生じる

【4】 この実感が正しくないという根拠

 Kina さんのおっしゃるところの、(2)よりも(1)の方が妥当であるとする根拠も、ないわけではありません。
・ 目的意識は行動に先立っていない、意志はヒトの行動に先立ってはいない、意思(精神、意識活動)は行為に先立っていない。
―― という実験結果があるのです。それがどの程度の確度のものであり、どの程度確立されたものかは、私には判断がつきませんが。

 リベットは、私たちが動こうと決めたときに脳の中で何が起きるのかを探った。意識的な決定が先か、無意識的な運動の実行が先か。最近、ロンドン大学のユニバーシティ・カレッジの生理学者パトリック・ハガードが、リベットのこの実験を再現した。実験はとても簡単だった。パトリックの実験動物になった私が言うのだからまちがいない。私の頭蓋に取りつけられた電極が、脳の運動皮質の電気活動を監視する。運動皮質は運動の生成に関与する皮質の一部である。私がなすべきことは、いつでも自分の好きなときにボタンを押して、それを押したいと思った時間を正確に告げることだった。
 リベットは、動きたいという意識的欲求が先に起こり、それから脳の運動野が活動をはじめると思っていたが、まったく逆だということを発見した。動こうという決断は、運動野が行動の準備を始めてから約一秒後にやってくる。あなたの脳は、潜在意識のなかで既に動く決断をしており、「あなた」はその動くプロセスが作動したとたん、その存在に気づくにすぎないのである。
     ―― 『意識的な自己の支配は幻想という発想 − 意識は潜在意識の産物

・ 意識が関与しないところで、ほとんどすべての「現実」が起きている。
・ 意識はその「現実」にたいへん多くを依存している。
・ 意識はよく怠けたり、サボったりしている。
・ 意識は、最大でも数十ビット/秒の低速・低容量システムである。
・ 意識は「現実」のごく僅かな部分のシミュレーションをしている。
・ 意識は「現実」のたいへん粗雑なシミュレーションをしている。
・ 意識がしているシミュレーションは、あんまり「現実」と似ていない。
・ 意識はほとんど「現実」を知らない。
・ 意識はほとんど「現実」に関与できない。
     ―― 『ユーザーイリュージョンという発想

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 要点をくり返すならば、・ヒトの素朴直感は、何ら証明になるものではない。・確立された科学的事実が、素朴直感に反することは現にある。・この場合の素朴直感が間違っているという根拠も、全くないわけではない。というのが私の考えです。
 これでKina さんに充分がご納得いただける説明になっている、とは思っていませんが、少なくとも、私がどんなことを言っているのか、そのおおよその見当をつけていただけるようになったのではないかと思います。

 ここでは、ヒトの素朴直感、実感というものについて、述べさせていただきました。ここでは、それ以外のことを述べようとはしておりません。例によって、私のこの発言にコメントしていただく場合は、「返信」という形でしていただければ幸いです。



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